【魚眼 虫眼 鳥瞰】 一人ひとりが考える時代へ
成長とは何か、豊かさとは何か
月刊情報誌『JMAマネジメント』の連載記事の一部をご案内いたします。
近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミスが執筆し、発行された書籍に、『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』『国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)』の2冊がある。この2冊が対となってはじめて、スミスが考えていたことが理解できる。
『道徳感情論』のなかでは、「同感(sympathy)」「公平な観察者(impartial spectator)」などが論じられており、『富国論』では、「分業(division of labor)」の発展段階にはじまり、「重商主義の批判」「利己心」そして「見えざる手」について書かれている。スミスは、市場に秩序はあるものという前提に立って、人びとが自らの利益を求めることで、万人の幸せにつながると考えたわけだが、残念なことに、一部だけを切り取り発信され、「自分の利益(利己心)を考えて行動すればよい」という誤解も生じたことだ。
アダム・スミス以後、資本主義と産業革命によって、私たちの生活は豊かになった。しかし、その代償として、環境すなわち生態系を犠牲にしてきてしまった。環境は外部性をもつ存在として、経済システムを考えたということなのだろう。
しかし、人間も生態系のなかで暮らしているわけで、けっして環境を別にして考えることはできない。そのことに気づいた私たちは、生態系と経済システムを「対立的統一」として考え、その試みがはじまっていることは何よりも心強い。
また、スミスが指摘している通り、経済を考えるには感情という要因を抜きには考えられないはずなのだが、資本主義はどこかで、心や感情、精神といった面を置き忘れ、成長という言葉のもと、スミスが定義した「富」ばかりを追い求めてきてしまったのではないだろうか。
今後、生態系と経済システムを両立させ、人びとが豊かでありつづけるためにも、数字で表現しない成長の指標をつくり出さねばならないであろう。さらに、豊かさも物質的富ばかりを求めることではない。
今後、私たちはこうした問題を考えなければならない。そのとき、「何が正しいか」を大前提に物事を考えることだ。誰かがいっているから正しいと、思い込まされないことである。