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なぜドイツのIoT普及は国家主導なのか|
インダストリー4.0 最前線ドイツからの報告②

第2回 なぜドイツのIoT普及は国家主導なのか

在独ジャーナリスト 熊谷 徹

ドイツのIoTについての取り組みが日本と最も大きく異なる点は、政府がトップダウンで始めたということである。ドイツ連邦教育科学省は、2011年にドイツ工学アカデミーなどとともに、「インダストリー4.0宣言」を公表し、製造業のデジタル化に関して世界のリーダーになるという目標を打ち出した。これは、近年まで政府がイニシャチブを取らず、一部の大企業が個別に研究を進めてきた日本とは、大きな違いである。

国がインダストリー4.0を牽引する

連邦政府は、今でもIoT普及のための強力な牽引役だ。たとえばこの国には、「プラットフォーム・インダストリー4.0」(PI4)というIoT推進団体がある。これは2013年にドイツ機械工業連盟(VDMA)、ドイツIT・通信・ニューメディア産業連合会(BITKOM)、ドイツ電気・電子工業連盟(ZVEI)などの業界団体が結成したものだが、2015年からは連邦政府の経済エネルギー大臣と教育科学大臣が最高責任者となっている。つまり、連邦政府が推進団体のトップとして舵取りを行っているのだ。

さらに連邦政府は毎年「デジタル・サミット」という全国会議を開催している。この会議では、メルケル首相が毎年業界団体や地方自治体から、デジタル化の進捗状況について直接報告を受けたり、IoTに関する政策の重点目標を決めたりする。

政府が主導権を握っている理由の一つは、同国企業の約99%を占める中規模企業(ミッテルシュタント)がデジタル化の流れに乗り遅れないようにするためだ。

中小企業支援を最重視

PI4は、ドイツ各地でミッテルシュタントのためにインダストリー4.0についての研修会を開いたり、ミッテルシュタントの技術者がIoTに関する実験を行うための研究施設を斡旋したりしている。

たとえば、インダストリー4.0の技術を導入するべきかどうか決めかねているミッテルシュタントは、PI4が運営する「ラブス・ネットワーク・インダストリー4.0(LNI4.0)」という組織に連絡を取れば、研究施設の紹介を受けて、インダストリー4.0についての実験やテストを行うことができる。LNI4.0は、ウエブサイト上でインダストリー4.0の技術の応用例についても紹介している。

LNI4.0
https://lni40.de/

またPI4は、ウエブサイト上にインダストリー4.0・デジタル地図を公開している。IoTに関する助言や実践的な知識を求めているミッテルシュタントは、この地図上で都市の名前をクリックすれば、インダストリー4.0の技術を実践的に応用している企業の名前を知ることができる。技術者はその企業と連絡を取り、情報交換を行うことが可能だ。この地図には、2018年3月末の時点で343社の企業が、IoT技術の応用例のサマリーを公開している。

デジタル地図
https://www.plattform-i40.de/I40/Navigation/DE/In-der-Praxis/Karte/karte.html

ミッテルシュタントはドイツ製造業界の大黒柱

ミッテルシュタントは、ドイツの機械製造業の屋台骨。高いイノベーション力を持ち、輸出志向が強い。消費者向けの製品ではなく、B2B取引(企業間取引)を中心とするので、大企業に比べると知名度は低いが、特殊な部品や工作機械などのニッチ分野では、世界のマーケットで大きなシェアを占める強豪企業が多い。大半のミッテルシュタントは、家電製品など大衆向けの製品を避け、他の企業を取引相手にする。したがって、激烈な価格競争を避けることができる。「ドイツのミッテルシュタントの技術や製品がないと、自社の生産活動に支障が出る」という企業が多いのだ。彼らはドイツだけで活動するのではなく、外国のマーケットにも積極的に進出していく。

ドイツのミッテルシュタントは、「隠れたチャンピオン」と呼ばれている。ドイツの企業で働く就業者の約79%がミッテルシュタントで働いており、雇用者としても重要な役割を演じている。ドイツ政府は、ミッテルシュタントの研究開発に助成金を出すなど、様々な支援策を講じている。連邦議会選挙や州議会選挙では、全ての政党がミッテルシュタントの支援を政策マニフェストに盛り込む。多くの市民が勤務するミッテルシュタントは、政治家にとっても無視できない存在なのだ。

IoT導入が遅れるミッテルシュタントも

だが多くのミッテルシュタントは、デジタル化の時代に大きな曲がり角に立たされている。彼らの強みは、ITではなく機械製造である。インダストリー4.0を実行するには、新たにITに関するノウハウや専門家を導入しなくてはならない。これは多くの中小企業にとって、未知の世界だ。

またインダストリー4.0ではソフトウエアが重要な役割を演じる。大企業はソフトウエアを自力で開発する人材や資本力を持っているが、ミッテルシュタントにはこうしたリソースがしばしば不足している。大半のミッテルシュタントは株式会社ではなく、家族会社なので、資本力も限られている。

人材不足も大きな問題だ。現在ドイツの景気は、1990年の東西統一以来最良の状態になっているため、IT技術者は引っ張りだこである。小規模なミッテルシュタントにとっては、高学歴のITスペシャリストに大企業並みの高給を払えずに、人材を確保できないケースもある。

さらにミッテルシュタントは、「独自のノウハウや製造技術」という「匠の技」を最強の武器としている。製造業がデジタル化されることによって、自社の機微なノウハウが、他社にコピーされたり、サイバー攻撃によって盗まれたりするのではないかという危惧を抱く企業は多い。

この結果、ミッテルシュタントの中にはインダストリー4.0の導入に二の足を踏む企業が少なくない。

たとえば2016年8月にマンハイムの経済研究所・欧州経済センター(ZEW)が発表した、ミッテルシュタントのインダストリー4.0に関するアンケート調査によると、「製品やサービスのデジタル化を始めた」と答えた企業の比率は、19%に留まった。ミッテルシュタントのほぼ3分の1がデジタル化への取り組みを始めていなかった。

これに対し、BITKOMが2016年に行ったアンケート(ミッテルシュタントだけではなく大企業も含めた意識調査)によると、回答企業の46%が「インダストリー4.0のアプリケーションを導入している」と答え、19%が導入を計画していると答えた。つまり全体の65%がインダストリー4.0についての取り組みを始めていた。この2つの調査結果から、ミッテルシュタントのIoTへの取り組みが遅れていることがうかがわれる。

「ミッテルシュタントぬきでインダストリー4.0は成功しない」

私が話を聞いたミッテルシュタントの社員の中には、「インダストリー4.0はメディアが騒いでいるだけで、我が社には無縁だ」と語る人もいた。ある小規模の自動車部品メーカーの経営者は、「うちの会社は金属を折り曲げて製品を作り、収益を稼いでいる。インダストリー4.0の話なんてしたくない!」と言い切った。

だが今や世界中の製造業界がデジタル化への取り組みを行っており、ドイツのミッテルシュタントが伝統的な「匠の技」だけにしがみついていたら、技術の進歩に取り残される危険がある。米国のグーグルやアップル、アマゾンなどのIT企業は、デジタル・プラットフォームを使ってB2Bの分野にも進出しようとしている。こうした中、ミッテルシュタントが能動的にビジネスモデルの変革を試みなければ、競争力を失う危険がある。ドイツ工学アカデミーのクラウス・マインツァー教授は、「ミッテルシュタントがインダストリー4.0に本格的に取り組まなければ、このプロジェクトは成功しない」と語っている。

ドイツ政府がインダストリー4.0の先頭に立ち、PI4を通じてミッテルシュタントを積極的に支援しているのは、ミッテルシュタントというドイツ製造業界の大黒柱が、デジタル化の荒波を無事に乗り切れるようにするためなのだ。

(続く)

【タイムフリー・オンライン配信】
「【現地報告】コロナ・パンデミックと戦う欧州諸国 ~アフターコロナを探る~」
配信期間:2020年7月31日(金)17:00まで

著者略歴

熊谷 徹(くまがい・とおる)

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。

著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」(洋泉社)「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」(SB新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。

ホームページ :www.tkumagai.de
メールアドレス:Box _ 2@tkumagai.de
フェースブック、ツイッター、ミクシーでも実名で記事を公開中。

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Toru Kumagai

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部に在学中、ドイツ連邦共和国にてAIESEC経済実務研修(Deutsche Bank、ドイツ銀行)、卒業後、日本放送協会(NHK)に入局、国際部、ワシントン支局勤務を経て、1990 同局を退職。ドイツ・ミュンヘン市に移住。ドイツ統一後の変化、欧州の安全保障問題、欧州経済通貨同盟などをテーマとして取材・執筆活動を行う。主な執筆誌「朝日ジャーナル」、「世界」、「中央公論」、「エコノミスト」、「アエラ」、「論座」など。主な著書に「ドイツ病に学べ」、「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ人はなぜ、150日休んでも仕事が回るのか」、「ドイツ人が見たフクシマ」、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」、「欧州分裂クライシス・ポピュリズム革命はどこへ向かうか」。 日経ビジネス・オンラインに「熊谷 徹のヨーロッパ通信」を毎月連載中。その他、週刊ダイヤモンド・週刊エコノミストにもドイツ経済に関する記事を隔月で掲載。 ホームページ:http://www.tkumagai.de
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