中小企業のIoT導入に力を入れるドイツ政府|
インダストリー4.0 最前線ドイツからの報告⑦
第7回 中小企業のIoT導入に力を入れるドイツ政府
在独ジャーナリスト 熊谷 徹
ドイツ連邦政府と経済団体は、いま中小企業にインダストリー4.0の技術を導入させるための必死の努力を続けている。
中小企業は製造業の大黒柱
ドイツ語でミッテルシュタントと呼ばれる中小企業は、この国の企業数の99%を占める。イノベーション力が高いミッテルシュタントはドイツの機械製造産業、輸出産業で重要な役割を担っている。大半が家族企業なので資本力は小さいが、B2Bつまり企業間取引や、特殊な機械や部品などのニッチ市場では世界最大のシェアを持つ強豪企業が多い。
IoTに関するセミナーに参加すると、多くの専門家が「ミッテルシュタントが参加しなければ、インダストリー4.0は成功しない」と強調する。
連邦経済エネルギー大臣と連邦教育研究大臣が率いるIoT推進機関「プラットフォーム・インダストリー4.0」(PI4)は、中小企業に製造業のデジタル化の重要性を理解させること、研究や実験を支援することに最も力を入れている。たとえばPI4は、全国の商工会議所でミッテルシュタント向けにインダストリー4.0についての講演会や研修会を実施している。その回数は、2016年以来40回を超える。研修会では、今ミッテルシュタントが最も関心を抱いている次のテーマに重点が置かれる。
- ビジネスモデルをどのように適応させるか?
- どのようにして機微なデータを守るか?
- IoTの標準化の現状は?
中小企業向けの情報提供と研究支援
これらの研修会では、すでにインダストリー4.0の技術を部分的に導入している企業が実例を紹介することもある。デジタル化について頻繁に聞くものの、実際に自社に導入するとなると踏み切れない中小企業の経営者にとっては、地元の商工会議所で直接専門家の意見を聞き、質問をすることができる研修会は貴重である。
さらにPI4は、ウエブサイト上でもミッテルシュタント向けに豊富な情報を提供している。たとえばPIのデジタル地図では、すでにインダストリー4.0の技術を部分的に応用している企業360社が紹介されている。フィルターによって、自分が関心のある業種や製品、応用分野に絞り込むことができる。地図に示されている企業をクリックすると、事業内容、社員数、IoT技術の応用分野、利点、難しかった点などの説明が現れる。さらに経営者の名前と電話番号、メールアドレスも掲載されている。
PI4のヘンニヒ・バンティエン事務局長は「電話番号まで公開したのは、IoTの技術を学びたいと思う経営者やエンジニアが電話をして情報交換できるようにするためです。専門家同士が直接話し合った方が、理解や意思の疎通が速いからです」と語る。
またPI4はウエブサイト上に「インダストリー4.0情報羅針盤」というコーナーを開設した。現在ドイツでは連邦政府、州政府、省庁、経済団体、大学、研究機関、商工会議所などがインダストリー4.0について様々な情報や学びの場を提供している。しかしあまりにも情報量が多いために、多忙な中小企業の経営者はどのように情報を入手したら良いか戸惑ってしまう。PI4の情報羅針盤は使用者の関心や目的に応じて、次の5つの項目に分類した情報、ウエブサイト、連絡先を提供している。
- 情報を入手する。
- IoTを導入するにあたり、まず方向性を決めたい
- IoTの実地デモンストレーションを見たい、勉強をしたい。
- IoTについての実験をするための場所を紹介してほしい。
- IoT技術を実際に導入したい。他の企業と提携したい。
確かにドイツのインダストリー4.0については情報の洪水とも言うべき状況になっており、素早く自分が求める情報にたどりつくにはこのような羅針盤が必要である。
またPI4はウエブサイト上にオンライン図書館も設けており、インダストリー4.0に関する報告書、解説書、パワーポイント、関連文書など約110点が公開されている。インダストリー4.0についての基礎知識を身に付けたいという中小企業の経営者にとっては、この図書館を訪問するのが初めの一歩である。
中小企業への技術伝達が重点目標
さてPI4は、2017年6月にルートヴィヒスハーフェンで開催した「デジタル・サミット」で「インダストリー4.0のための10項目計画」を発表したが、その中で最も重視されていたのがミッテルシュタント支援である。この10項目計画の中では、商工会議所を通じたミッテルシュタントへの技術伝達が一番最初の課題として挙げられているのだ。
インダストリー4.0のための10項目計画
- 中規模企業のためのインダストリー4.0・技術伝達ネットワークの創設。
- AI、エネルギー節約などの新しいテーマを取り上げる。
- 標準化・規格化を促進。(中規模企業の意向を重視)
- 研究結果を迅速に応用する。
- ITセキュリティの強化。
- 法的枠組みをインダストリー4.0実施のために、部分的に変更する。
- インダストリー4.0に合わせた働き方、研修、職業訓練計画の作成。
- インダストリー4.0のための実験施設の拡大。
- インダストリー4.0をすでに使っている応用例の公開数を増やす。
- 国際協力の深化(標準化・ITセキュリティ)
今年4月の工業見本市ハノーバーメッセでも、連邦経済エネルギー省がミッテルシュタント向けの情報コーナーを設け、訪問者の個別の相談に応じるなど中小企業を極めて重視している姿勢が感じられた。
PI4のバンティエン事務局長は、ミッテルシュタント支援を重視している理由をこう説明した。「現在ドイツ企業の中で、インダストリー4.0に本格的に取り組んでいるのはまだ半数。我々はこの比率をもっと増やさなくてはいけないと思っています。なぜかというとインダストリー4.0やスマート・サービスは全ての企業が参加した時にこそ、真価を発揮できるからです」
確かに、従業員数や資本が大企業に比べると少ないミッテルシュタントでは、インダストリー4.0への取り組みが遅れている。今年3月にKfW(ドイツ復興金融公庫)が発表した研究報告書によると、2014年~2016年にデジタル化に関するプロジェクトを実行した中小企業はアンケートの回答企業の26%にすぎなかった。2016年にドイツの中小企業がデジタル化のために行った投資額は139億ユーロで、機械や建物への投資額(1690億ユーロ)の10分の1に満たなかった。
好景気がIoT導入にブレーキ
バンティエン氏は言う。「現在ドイツの景気は絶好調です。ミッテルシュタントでは受注額がどんどん増えて、生産が間に合わないほどです。つまりミッテルシュタントは伝統的なビジネスモデルで大きな成功を収めています。彼らにはインダストリー4.0について本腰で取り組む時間やリソースがないのです。こうした時期に、なぜミッテルシュタントの伝統的なビジネスモデルを変えなくてはならないかを理解してもらうには、相当時間がかかります」
つまりドイツのミッテルシュタントが好調であるからこそ、インダストリー4.0やスマートサービスの実施が遅れるという皮肉な事態となっているのだ。確かに、現在成功しているビジネスモデルをあえて破壊して、デジタルプラットフォームを中心にしたシステムに移行しなくてはならないと説得するのは難しい作業だ。
しかし物づくり業界が現在の地位の上にあぐらをかいていたら、その間に米国や中国のIT企業がデジタルプラットフォームを使って世界の製造業や流通で主導権を握り、ビジネスモデルを変えてしまう危険がある。
ドイツ政府はこの国の物づくり業界の大黒柱であるミッテルシュタントを、デジタル化という列車にうまく飛び乗らせることができるかどうか。次の5年間が勝負である。
(続く)
【タイムフリー・オンライン配信】
「【現地報告】コロナ・パンデミックと戦う欧州諸国 ~アフターコロナを探る~」
配信期間:2020年7月31日(金)17:00まで
著者略歴
熊谷 徹(くまがい・とおる)
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。
著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)、「日本の製造業はIoT先進国ドイツに学べ」(洋泉社)「5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人」(SB新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。
ホームページ :www.tkumagai.de
メールアドレス:Box _ 2@tkumagai.de
フェースブック、ツイッター、ミクシーでも実名で記事を公開中。
Toru Kumagai
【タイムフリー・オンライン配信】 「【現地報告】コロナ・パンデミックと戦う欧州諸国 ~アフターコロナを探る~」 配信期間:2020年7月31日(金)17:00まで