第2章 荒船風穴と西条州の養蚕――かぶらの里は近代産業発祥の宝庫
(4)養蚕農家群――甘楽町小幡地区
富岡から国道254号線を東に進む。上州富岡駅から上州電鉄で高崎に向って2駅目が上州福島駅である。
駅を出て南に数キロほど下ったところが甘楽町小幡地区。ひなびた中にも、典雅な雰囲気が漂うこの町は、織田信長の二男信雄からつながる織田家の城下町である。
町の中を雄川から堰を作って引いた雄川堰が縦横に走り、国の名勝に指定されている「楽山園」、織田氏七代の墓のある崇福寺など、藩政時代の歴史的な建造物も残されている。
小幡地区の中心部、雄川堰に沿って植えられた桜並木が美しい一角は、流れる堰の両側に街道が走っていて、街道と直角に明治中期に建てられた養蚕農家群が並ぶ。
養蚕農家と言っても、門構えの大きな建物だ。門の内側には、大きな家がいくつか並び、中庭を挟んで一つの屋敷群を形成しているかのようだ。こうした門構えの構造がいくつか並んでいる。かつては裕福な町だったのだろうことが想像される風景である。
雄川堰の洗い場
雄川堰の幅はわずか2,3メートルだが、豊かな水量が流れ、あちこちに石を積んだ洗い場が設けられている。明治中頃から40年ころまで、養蚕が盛んだった時代、41か所の洗い場があり、この水を利用して生活用具とともに養蚕器具の洗浄なども行われていたという。
蚕を飼育する竹製の「蚕かご」(1.5×0.9m)は、小規模養蚕農家でも約100枚、大規模養蚕農家なら数百枚もの数を洗わなくてはならず、さらに最盛期には年5~6回の養蚕が行われ、洗浄は大変な重労働であったという。
雄川堰があったお陰で、近くで洗浄が可能だったため、養蚕が衰退するまで、長年にわたって利用されてきた。現在でも、日常的な農作物の食材洗い場として雄川堰は利用さている。
雄川堰のある街道は、きれいに整備されており、城下町の町屋らしい雰囲気を残したたたずまいがどこか懐かしい気持ちにさせてくれる。豊かな水量に心も和む。
この地域は車を降りて、ぜひ散歩を楽しみたい。お休み処「信州屋」は無料休憩所。もともと薬屋だったようだ。きれいに改築され、2階も見られる。薬屋当時の看板もある。
旧甘楽社小幡組の繭倉庫
この道の先に、赤煉瓦造りの甘楽町歴史民俗資料館がある。かつて西上州には、たくさんの養蚕農家があり、それらが集まって組合を作り、繭を集めて運営する製糸工場がたくさんあった。
組合製糸工場と呼ばれるものだが、そうした製糸工場の面倒を見ながら、養蚕農家に蚕種を販売したり、作られた生糸を撚糸工場に販売したり、また、養蚕道具などを扱ったりする組織が作られていた。
その代表的な一つが、甘楽社である。いま、甘楽町の歴史民俗資料館として使われている赤煉瓦の建物は、2階建ての瓦葺きで床面積289平方メートル、大正15年に作られた旧甘楽社小幡組の繭倉庫である。
しばらく前までは、養蚕作業も行われていて、1階には、その時の資料等を中心に、養蚕のプロセスを示す資料が展示されている。繭玉なども置かれており、蚕から繭-生糸に至る流れがよく分かる。
建物は平成19年には「近代化産業遺産」として認定され、「群馬絹遺産」にも認定されている。奥の部屋には、笹森稲荷神社に奉納されていた赤レンガづくりに携わった深谷出身の韮塚直次郎が奉納した絵馬が展示されている。
絵馬-甘楽町歴史資料館 韮塚直次郎によって笹森稲荷神社に奉納された絵馬。いまは、甘楽町の歴史民俗資料館(旧甘楽社小幡組倉庫)に展示されている。大きさは、160cm×80cmほど。

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