第3章 田島弥平旧宅と高山社跡――養蚕技術改善と生産性向上への試み
4つの遺産は品質・生産性向上の歴史証人
旧田島弥平宅と高山社跡の2か所は、2014年6月にユネスコに登録された富岡製糸場と絹産業遺産群の中に含まれる。生糸は繭から作り出される。いかに良質の繭を効率よく作るかは、絹繊維産業の成否を決める基本的な課題だ。幕末から明治にかけて、蚕種の育成と養蚕の技術は飛躍的に向上したが、それらの開発に貢献したのが田島弥平と高山長五郎だった。
2014年6月にユネスコの世界文化遺産として登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」には、4つの遺産が含まれている。これまでご紹介した富岡製糸場と荒船風穴、それに、今回ご紹介する田島弥平旧宅と高山社跡である。
明治期に日本の絹産業は、世界的にも高い評価を得て、輸出の花形産業になり、それによって大量の外貨を獲得してきた。その基本には、日本の養蚕・製糸業界の高品質化と生大量生産を実現する工夫と努力があったが、その先駆けとなったのが、今回、産業遺産として登録された4つの施設であった。
登録された4つの遺産の関係を図にすると図1のようになる。
- (1)荒船風穴は、冷房技術がない時代に、自然の冷却力を発見し活用することで蚕の孵化時期をコントロールすることを可能にし、5月~10月の期間に限定されていた養蚕を、年間を通して可能な事業とする画期的な仕組みを生み出した。
- (2)富岡製糸場は、良質な生糸を生産するための器械製糸技術を確立し、さらには、良質な繭を生産するための蚕種の開発・改良と、養蚕農家の支援を行ってきた。
- (3)田島弥平は、ヨーロッパに蚕種を販売しながら顕微鏡を購入して蚕の病気の検査と蚕種の改革に取り組み、その結果、画期的な自然通気を重視した屋根上のヤグラを備えた構造と蚕の育成法「清涼育」を考案。
- (4)その育成法は、高山五郎によって受け継がれ、清涼育にヒントを得て温度管理を緻密に行う「清温育」で新しい養蚕法を生みだし、その普及のために高山社を興して、アジアンワイドで研修生を募り、技術の普及につとめた。
この結果、これらの遺跡が、単に日本国内の絹産業遺跡というだけでなく世界的に見ても貴重な生糸製糸、絹産業発展の遺跡として国際的にも認められたのである。

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