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「Decade thinking -不確実な未来社会を生き抜くためのコンパス-」
【Decade thinking(5/5)】未来社会の組織的考察とダイナミック・ケイパビリティ(i.lab inc.)

このコラムを担当するイノベーション・ラボラトリ株式会社(以下i.lab)は東京大学i.schoolのディレクター陣によって設立されたイノベーション・ファームとして、これまで業界問わず大手企業をクライアントとして商品/サービス/事業のアイデア発想、アイデアを継続的に生み出すための仕組みづくり、研究開発戦略や重点事業開発分野の策定といった新規事業に特化したコンサルティングサービスを提供してきました。

そのような経験の中で、世界中にあるイノベーションに特化した研究機関・民間企業の方法論やi.school独自のメソッドを融合させながら、実際に新規事業企画に有用な「不確実な未来を捉えるためのメソッド」、「未来への対策の立て方」を形式知化してきています。

そこで、i.labが独自に発展させてきた「不確実な未来社会を捉えるためのメソッド」、「未来への対策の立て方」を「Decade thinking」という形でご紹介し、全5回の連載を通じて、読者の方々に、”これからの10年間を生き抜いていくためのコンパス”をご提供していきます。

本連載第4回目までは、不確実性と複雑性の増すVUCAの時代において、未来社会をどのように考察すればよいのか、その方法論やプロセスについて事例を挙げながら解説してきました。連載第5回目の今回は、こうした未来社会を組織的に考察する活動が、少し視座を上げた経営戦略の文脈からどのような意義を持つのか、i.labの考えを紹介していきます。

「先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態」である“VUCA”の時代が到来

VUCAとは、「Volatility(ボラティリティ:変動性)」「Uncertainty(アンサートゥンティ:不確実性)」「Complexity(コムプレクシティ:複雑性)」「Ambiguity(アムビギュイティ:曖昧性)」の頭文字を並べたもの。元々は軍事用語として利用されていたが、近年は不確実性の増すビジネス環境を端的に表す言葉として多用されるようになっている。
その背景となる事象には、新型コロナウイルスの感染拡大と先行きの不明瞭さ、政治・経済の世界的トップリーダーの極端で突飛にもみえる意見や行動、人間の精神性や知性、生命の根幹に関わる先端技術の開発、といったことが挙げられる。

製造業に話を限定しても、日本において最も存在感の強い自動車産業は、VUCAの時代の真っ只中での事業活動に直面している。CASEと称される、コネクテッドと自動運転、シェアリング、電動化はその一例である。一方で、産業を取り巻く複雑性・不確実性はCASEに留まらない。例えばエネルギー源が電気に収斂するのかという点も、電池性能の限界や重量面での弱点、水素技術の進化、マクロな観点での電気の供給能力の限界などを原因として、議論が分かれている。また、エネルギー源の変化が進むと、化石燃料で駆動するエンジンの設計・開発能力の保有を頂点としたこれまでの産業構造そのものが変化していく。ここで、前述のエネルギー源及びパワートレインの多様化も進むとなると、さらにその産業構造や変化の手順は複雑性を増すこととなり、その産業にいる企業においては組織内での議論どころか想像も追いつかない人も多いだろう。

そうしたVUCAの時代において、「あまり大きくは変わらない」と根拠なく思い込み、議論と思考が進まない人・組織も多くあるのではないか。

不確実性の高い世界には、組織のダイナミック・ケイパビリティが重要

心理学用語で「正常性バイアス」という言葉がある。正常性バイアスとは、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性のことである。正直いうと私自身も、これまでの社会生活や仕事生活において、正常性バイアスのために、判断や行動が遅れた、もしくは無判断・無行動になっていた経験は少なくない。皆さん自身、また皆さんの所属する組織ではどうだろうか。「あまり大きくは変わらない」と根拠なく思い込み、個人での思考や組織での議論を進めていないだけではないだろうか。
不確実性の高い世界では、環境変化を素早く探知し、対応すべく、組織内外の経営資源を再構成し、継続的に変容し続ける経営判断や組織の能力(ダイナミック・ケイパビリティ)が重要となる。
ダイナミック・ケイパビリティについては、「ものづくり白書2020」において、「環境や状況が激しく変化する中で、企業がその変化に対応して自己を変革する能力」と説明されており、製造業においても特に注目を集める概念である。また、製造業において「DX」という言葉も近年注目を集めているが、従来のIT化はオペレーション・管理・ガバナンスのために使われてきた一方、DXの文脈のデジタル化は、組織のダイナミック・ケイパビリティを高めるための感知・捕捉・変容のために活用されると言われる点も興味深い。

組織で「危機意識」を醸成することが、ダイナミック・ケイパビリティの要諦なのか

経験上、こうした話をしていると、社員一人ひとりの「危機意識」という言葉に話題が収斂していくことが多い。以前、トヨタの方とお仕事をしていた時に、「うちの会社は巨大組織だからこそ、一度調子が悪くなると一気に倒産まで至る可能性がある。いつも危機意識を持っている」という趣旨のことを、偉い人から若手までが口にしていたことに驚いた。これはCASEという言葉が世界で注目を浴び、自動車産業の大変革が広く知れわたる前のことである。このエピソードは、トヨタにおいては普段からこれくらいの緊張感とスピード感を持って日々仕事をしなくてはならないという、基本的なマインドセットが組織に染み付いていることを表している。私はここにトヨタの強さの根源を見た思いがした。
一方で、このような「危機意識」の醸成だけが、組織のダイナミック・ケイパビリティ向上の手段なのかというと、私はそうは考えていない。むしろ、危機意識の醸成以外の方法によって、ダイナミック・ケイパビリティを高めたいというのが私の意見である。

VUCA時代の組織能力の礎は、個人の創造性や共感性にある

環境の変化スピードが緩やかで、事業機会やビジネスモデル、勝ちパターンが固定化されている際には、組織としての重要能力は、「効率性」だった。出来るだけ組織の業務を効率的で正しく行うことを目指して組織体制や業務フローが設計され、その構成要素である人は「一つのギヤ」として、配属された組織で「専門性」の求められる業務に従事しつつ、業務や組織の間にどうしても発生する歪のようなものを「コミュニケーション能力」によって埋めることが求められてきた。そのため、人材の採用時には、「専門性」と「コミュニケーション能力」は最重要ワードだった。つまり、組織としては「効率性」であり、個人としては「専門性」と「コミュニケーション能力」が追求されてきた。
VUCAの時代には、勝ちパターンは変化してくる。ダイナミック・ケイパビリティの概念を提唱する、カリフォルニア大学バークレー校のデイヴィッド・J・ティース氏は、以下の組織能力の必要性を挙げている。

  • • 感知(センシング):脅威や危機を感知する能力
  • • 捕捉(シージング):機会を捉え、既存の資産・知識・技術を再構成して競争力を獲得する能力
  • • 変革(トランスフォーミング):競争力を持続的なものにするために、組織全体を刷新し変化させる能力

組織能力として上記を獲得・向上させようとすると、途方に暮れる思いを持つ経営者も多いだろう。一方で、個人能力だと考えると、どうだろうか。誰しもが、自らの人生を通して、自ら学ぶ内容を考え進学したり、就職先を決めたり、専門性を築きながら新しい領域へ挑戦していく、そうした体験をしてきたのではないだろうか。
組織能力としてダイナミック・ケイパビリティを効率的に獲得・向上させるために、人材をこれまでの「一つのギヤ」ではなく、個体としては既にダイナミック・ケイパビリティを持っている「一人の創造的な主体」として捉えてみてはどうだろうか。その動的能力に優れた個体の集合として、組織構造や業務内容を設計することで、組織のダイナミック・ケイパビリティを獲得・向上させることが有効ではないかと考える。
そうしたアプローチに立つと、人材に求められる能力の性質もまた変わってきて、「創造性」や「変化能力」となってくる。
これからの時代、創造性や変化能力の高い人材は引く手数多になることが想定されるが、自社にそうした人材が不足しているからと言って、安易に外部からの採用での獲得に頼りすぎるのも現実的ではない。そうした能力特性を持った人材は、個人主義的な傾向の強い人も多く、一つの組織に腰を据えて仕事をやり続けたいという価値観を持っていないことも多い。その点で、創造的能力に長けた人材の中でも、多様な考えを受容したり目指す方向性を共有できたりする「共感性」の高い人材を見極めることが肝要である。
また、そうした創造性と変化能力の高い個人を組織に紐づけるものは、これからの時代においては、従来のような高い報酬や企業ブランド、安定性だけではなく、自組織の目指す方向性や文化への「共感」も重要になってくる。自組織の事業内容や目指す未来像への共感を獲得する努力を行い続けることが大事である。

VUCA時代の組織能力の礎は、個人の創造性や共感性にある

本連載でご紹介してきた、不確実性の高い未来を考察する方法論やプロセスは、創造的な思考作業が常に求められるものである。また、一人の人がこう考えるということで完成するわけではなく、少人数のチームとして、またさらには組織内で伝搬させるために、合意形成を図りながら、検討と議論を進める必要がある。
ただし、これは、旧来の仕事のやり方でありがちな、組織内で根回しをするとか、落とし所を見つけるといった、妥協点を探る合意形成ではない。あくまでもまだ見ぬ未来の社会に関して、皆で創造的な思考と議論を繰り返し、結晶化させながら共感的に理解することに至る、「創造的合意形成」であることを忘れてはならない。
こうした取り組みやその成果物は、VUCA時代における「感知活動」そのものであり、事業機会を見定め進出するために資源を再構成する「捕捉活動」に直接的に寄与する。また、こうした活動で創造的な合意形成を体験することで組織に強く共感するようになった一人一人が、組織の特に重要な骨格となり、さらにはこれから先に持続的に組織変革を実現する機運と柔軟性をも生み出すものと期待できる。

以上、VUCA時代において未来の社会像を考察する活動の、経営戦略の文脈からの意義についてご紹介させていただきました。

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Yukinobu Yokota

i.schoolディレクター。早稲田大学ビジネススクール(WBS)非常勤講師。九州大学理学部物理学科卒業、九州大学大学院理学府凝縮系科学専攻修士課程修了、東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程中途退学。修士課程修了後は、野村総合研究所にて経営コンサルティング業務に携わる。その後、イノベーション教育の先駆者である東大発イノベーション教育プログラムi.school(旧名:東京大学i.school)では、2013年度よりディレクターとして活動全体のマネジメントを行っている。イノベーション創出のためのプロセス設計とマネジメント方法を専門として、コンサルティング活動と実践的研究・教育活動を行っている。近著に「INNOVATION PATH」(日経BP社)がある。
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