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HRテック企業が模索する人事課題解決への道|
シリコンバレー最新動向 その3

コロナ禍で事業の立て直し、採用の見直しを迫られているなかで、人材戦略はどうあるべきなのか。
昨年、シリコンバレーに長期滞在し、「シリコンバレーイノベーションプログラムの受講とともに、HR テックの年次カンファレンスに参加した、日本能率協会の平井亜矢子がシリコンバレーのイノベーションを生み出すエコシステムの動向とカンファレンスをレポートする。

ここでは、シリコンバレーを中心とした人事に関連する新しいテクノロジーツールを展開しているスタートアップの視察、また研修期間中に別途参加した世界最大級の HR テックイベント『HR Technology Conference & Expo 2019』の視察から見えてきた前述の人事課題に向けた HR テックサービスの潮流についてレポートする。

人材マネジメント課題への新しいアプローチ“Employee Experience”

現地のスタートアップ企業、HR Tech Conference & Expo 両者に頻出していたキーワードは「Employee Experience(エンプロイー・エクスペリエンス)の改善・向上」であった。
Employee Experience(以下 EX)は、元々マーケティング用語である「Customer Experience(カスタマー・エクスペリエンス、顧客価値体験)」から派生した言葉とされている。日本語では『従業員体験』と訳されることが多く、従業員が仕事や職場を通じて得られる価値ある体験を意味する。Customer Experience が顧客の心理的側面に左右し、企業の製品やサービスの売上、ブランド価値に大きな影響を与えると同じように、EXもまた従業員の心理的側面に影響し、企業への満足感や仕事への姿勢に影響を与えると考えられている。Airbnb社の元 CHRO であった Mark Levy 氏が自社の組織づくりに EX の重要性を説いたことから、日本でも大手企業を中心に数年前から話題になり始めていた。

EX というのは業務に従事している瞬間だけでなく、採用から退職するまで(場合によっては退職後も)に経験する企業との全てのイベント、また所属しているチームメンバー、マネジャー、顧客といったステークホルダーとの関係性も含まれる。加えて HR Tech 業界では、与えられる労働環境や福利厚生のような企業に所属することで得られる有形・無形の特典なども EX に包含して定義している。アメリカでは EX が人事課題を解決するための一つの切り口として注目され、すでに大手企業は EX を今後の人事・組織戦略の重要な要素として注視している。また、テクノロジー企業もこぞってこのニーズに対応すべく新サービスを提供しいる。図4は HRTech 業界の提供サービス内容の変遷を表した図である。人材の情報把握を中心としていたタレントマネジメントのシステムから組織文化改善のためのアプリケーションを経て、現在は EX の改善へとシフトしている。

人事課題に対する EX の改善・向上の効果とは

EX の改善・向上は前述した課題のいずれにも効果があると考えられている。まずは人材獲得競争についての利点である。企業が取り込みたいと思っているミレニアル世代が給与以外に求めるものとして「学習機会」「成長機会」があると述べた。企業はこのニーズに沿って自社の事業活動を通して得られる学びを明確化し、打ち出していく必要がある。これに対しサービス会社は新しいサービスを展開しはじめている。

サービスの内容はスキルチェックや学習ツールに始まり、成果を可視化しマネジャーがタイムリーに評価や育成ができるようサポートするツールなどがある。コンテンツの本質はこれまでのタレントマネジメントシステムがベースになっているが、ビッグデータや AIなどの発展によりこれまで個別バラバラで管理されていた多量のデータを一元化することができ、それによって得られる分析情報も精緻になってきている。またネックとなっていたユーザビリティも大幅改善されていると感じた。

これらのシステムは、その企業や組織に所属することでどのような知識・スキルが得られるのか、また個人の能力・経験と目標に対するギャップが何か、それに対して上司やメンバーはどのようなサポートをしてくれるのか、というこれまで見えづらかった人材開発の要素を可視化し、企業側と従業員側双方の共通認識を促してくれる。そしてこれらのシステムは、個人の特性に合わせて必要な開発施策を導き出せることもできるので、今後必要となる個人の内発的特性に依ったスキルを引き出すことにも寄与する。このようなシステムの活用は重要な人材の確保・維持(タレントアクイジション・リテンション)につながり、企業の競争優位に影響を及ぼすことになる。

また EX の改善・向上は人材の潜在的能力を高めることにも有効であるとされている。EX を改善することで、個人がより前向きに業務に没頭する状態をつくることができると考えられているからである。個人の潜在力を高めるための EX の改善は、直接的には労働環境の改善に近い。例えば脳科学に基づいてつくられた集中力を高めるリラクゼーション装置から、健康管理を促すためのツール、付帯業務や作業を効率的に行えるツールなど多岐にわたっている。この点は今後進歩する先端科学の知見と組み合わせることでより効果が高いツールやサービスが展開される可能性が高い。

EX の要素の中には「上司・メンバーとの関係性」という点が含まれることも注目したい。関係の質は従業員間のコミュニケーションの量と質が影響する。つまり前述したコミュニケーション低下の課題も EX の課題として考えられる。そしてこの課題を解決するために多くのテックベンチャーが新しいコミュニケーションツールサービスを展開している。

EX 改善のための新サービス

カンファレンスでは数多くの EX 関連の講演やサービスを目にすることができた。またEX の分野に新しく参入するスタートアップにもアプローチすることができた。ここからはその一部ならびに事例を紹介する。

① Thrive @ Hilton
EX 向上におけるビジネス成果について発表をしていた Hilton グループの事例を紹介したい。

同グループでは EX をビジネスに影響を与える最重要要素として捉え、EX 向上のためのさまざまな施策に取り組んでいる。

『Thrive @ Hilton』は Hilton グループと Thrive Global 社との協働プロジェクトである。Thrive Global 社は ストレスやバーンアウト(燃え尽き症候群)から苦しむ社員を予防、支援するためのテクノロジーサービスを提供しているスタートアップ企業である。本プログラムは、社員のための働きやすい環境づくり、イノベーティブな組織開発、成長のための育成支援、福利厚生といった、企業が社員へ提供するさまざまな施策を複合した人材マネジメント・組織開発マネジメントプログラムになっている。

このプログラムの特徴的な点は、企業が社員の「会社の社員としての目標」と「プライベートの個人的な目標」の双方の目標達成支援を行うという点である。プログラムの一部にはサバティカル休暇(使途に制限のない長期休暇)の制度があり、成果が高いと評価を受けた社員は、個人的に達成したい目標のための休暇と資金を企業から得ることができる。同グループはこのプロジェクトを「企業から社員への“約束”」と位置づけ、最重要項目として多額の投資を行っている。このプログラムの導入後、エンゲージメント(社員の企業や業務への信頼・愛着などを表す概念)が向上し離職率が低下したと発表された。また取組みの結果として採用にかかるコストが年間で 500 万ドル削減できたと経営視点での成果についても述べられた。一時的に膨大なコストをかけたとしても人材へ投資を行いビジネスを成長させようとするアメリカ企業の本気度が垣間見える講演となった。

② Happinss 社
メキシコからアメリカに進出したスタートアップ企業である Happinss 社。彼らは人のストレス軽減や集中力の向上のために VR を使ったサービスを開発している。

VR 用ゴーグルとノイズキャンセラー付きのヘッドフォンを装着し、心理的にリラックスする仮想空間をつくることで使用者のストレス軽減を図る。また機材にはバイタル計測を設置することができ、そこで得られたデータから個人の健康状態をモニタリングすることができる。これらのデータを人事労務が自社の社員の健康経営のために使用することで、さまざまな労務施策の質を向上させる狙いがある。技術そのものが最先端のテクノロジーではないが、日常業務におけるパフォーマンスを簡単に向上できるツールとしては非常に利便性の高いものであり、その目の付け所はスタートアップならではの柔軟性を感じさせた。

③ Curious Thing 社
AI によって自動で会話を生成するインタビュー用ツールを開発した Curious Things 社。アメリカでは一部の企業で採用試験ツールとしてすでに実績がある。求人者の自然な会話の中から発せられたキーワードを読み取り、その人材の個人特性などを定量的に判断する。
各企業のニーズに合わせて設定内容をカスタマイズすることができる。注目すべきはその精度の高さである。一般的な AI スピーカーをはるかに上回る会話の読み取り力、そして読み取った内容を即座に判断し次の質問をはじき出すスピードは驚くべきものがある。

公開コラムはこちら

その1:コロナウイルスがシリコンバレーにもたらしたもの|シリコンバレー最新動向 その1
その2:ベイエリアの人材マネジメント|シリコンバレー最新動向 その2
その3:HRテック企業が模索する人事課題解決への道|シリコンバレー最新動向 その3(本コラム)

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