【魚眼 虫眼 鳥瞰】 閉塞感を打破するもの
月刊情報誌『JMAマネジメント』の連載記事の一部をご案内いたします。
民主主義が正しく機能するには、参加する全員が、「正しいこととはこうである」、あるいは「こうありたい」などの「自分の考えをしっかりとまとめ、選択する」という前提が必要となる。しかし、現実は、そうではないことを知っている。選挙などでは、演説の巧みさや公約のみで投票相手を選択してしまうことがある。たとえ、どんなに投票者がしっかりしていても、である。
いかにしたら、民主主義は正しく機能するのだろうか。過去、わが国でも信義を貫く政治家が多かったことが幸いし、「何をすることが正しいのか」が、考えられていたのではないかと思う。しかし、近年、○○ブームや△△旋風によって、志が定かとは思えない政治家が誕生してしまう。志が揺らぐ人間に権力をもたせることは、「私」をもたげることになりかねないわけで、こうした傾向から、政治に対して閉塞感を感じてしまうのだろう。
また、資本主義も新自由主義による市場のグローバル化の拡張によって、富の格差が拡大し、保護主義や自国優先の傾向が広がっており、グローバル化という資本主義の限界も指摘されている。
こうした閉塞感を打破するために何を考え、何をすることが必要なのだろうか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。解決の糸口は、この言葉にあるのではないだろうか。
人間は、ローマ時代やギリシア時代の人と現代人とで、大きく進化したのだろうか。技術進歩ほどに、人間そのものは大きく進歩してはいないのではないか。経験に学ぶことは、成功体験にしても失敗体験にしても自らのものでしかない。歴史にも学ばなければ、他人の経験を学ぶことはできない。
歴史に学ぶとは、過去に学ぶことではあるが、考えるべきは未来であり、過去を知恵にして、考えつづける以外に閉塞した状況を打破する方法論は見つけられないだろう。
そして、不確実であっても何か方法論を見いだしたならば、それを実行する以外に新たな芽が出ることはない。企業の閉塞感を打破するイノベーションも同様に、行動しなければ生まれない。