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ものづくり日本の心
まえがき:日本人の底に流れるものづくりの通奏低音

文:梶 文彦写真:谷口 弘幸(Penthouse STUDIO)

日本人の底にものづくりの通奏低音が流れている

なぜ私たち日本人は、こんなにコンパクトでこぎれいな商品を作るようになったのだろうか?
この原稿≪ものづくり 日本の心≫を書くことになったきっけかは、この疑問です。
世界中にたくさんの国があり、それぞれの国でものづくりが行われています。仕事で、世界中のとまでは言いませんが、少なくとも、両手・両足の指を合わせた以上の国・地域を訪問し、ものづくりを見るたびに、私たち日本人は、なんであんな作り方をしているのだろう、と気になりました。世界にはいろいろな国・人がいます。

  • 言われた通りに作ればよいと考える人
  • それらしく作って用途が足せればそれでよいとする人
  • よそのやり方を手早く真似しようとする人
  • スケール大きく大雑把に作ろうとする人
  • 自分たちのやり方でやりたいとこだわる人
  • どこにもない新しいやり方をしたいと考える人

・・・などなど。
そんななかで、どうやら、仕上がりを重視してコンパクトにきれいにまとめることにこだわり、過剰ともいえる神経を使っているのは私たち日本人だけのようなのです。
そんなこだわりを見ていると、もしかすると、私たちの中にそんな風にものづくりにこだわるDNAが、あるいは、発想の奥底にそうしたことにこだわる神経がひっそりと通奏低音のごとく流れているのではないか、と思わざるを得ないのです。
私たち自身、全く気が付かないほど、まるでDNAに書き込まれたかのようにコンパクトに、こぎれいにまとめられたものをいとおしむ心があるように思えます。私たちは、なぜ、そんなやり方をするようになったのだろうか、そう思って本などを参考に読んでみましたが、どうやら、とても簡単に答えの出せる疑問ではないと分かってきました。
そこで途中経過、先へのたたき台としてまとめてみたのがこの原稿です。参考までにどんな資料を参照したのか、上げてみました。専門書ではありませんし、研究論文でもありません。素人が日常的に手の届く図書を参考にエッセー風にまとめてみたものです。
かつては新聞や雑誌にはものづくり、技術動向に関連する記事があふれていました。最近は、「ものづくり」は、あまり話題になりません。どうしたのでしょうか、ものづくりを語っても意味がなくなった?と言われそうですが、それは違います。
ものづくりとその技術は、相変わらず産業の基盤で、大きく変化している真っただ中にあります。なぜあまり話題にならなくなってしまったのか、多分、変化のただ中にあるという実感がないためでしょう。しかも大きな変化は外圧としてやってきています。その変化が実感として感じられるほど明確になっていないということもあるかもしれません。
海外に進出していたものづくりが、おりから再び日本に帰って来ようとしています。再びこの国で、「ものづくり」の言葉が頻繁にみられる日が来る予感があります。その時に、再び話題になるこれからのものづくりが、どんなものに変化しているのか、そのとっかかりとして、まずは日本のこれまでのものづくりをめぐる現状をまとめてみたのがこの原稿、という位置づけに読んでいただくといいかもしれません。

どうなる?日本のものづくり

二〇二〇年あたりを境に産業界・社会のあり方が大きく変化しました。
そのきっかけになったのは大きくふたつあります。
一つは2020年春から始まったコロナ禍による人的な接触への忌避、ソーシャル・ディスタンス確保への要請であり、もう一つは地球温暖化を考慮した化石燃料の回避です。そして、その結果としてSDGsをめざした自動車業界の世界的なEV化へのシフトがすすみました。
二〇世紀から21世紀にかけて、グローバル化の進展とともに負の要素として世界的な感染症、パンデミックの危険性は危惧されていました。そんな中で起こったのがコロナです。
始まりは、2019年秋、ひそかに武漢で流行り始めた肺炎でした。2020年になるとそれが急速に猛威をふるうようになり、コロナ(covit-19)とよばれて、急速に世界に伝播するようになりました。肺や心臓などに呼吸器系の基礎疾患を持つ高齢者への感染が相次いで、パンデミックが現実のものとなりました。
これで社会の様相は一変しました。
人が集まることが危険とされたことで、企業での仕事も個別に離れた自宅等でのネットワークを介してのリモート作業が奨励されるようになりました。通勤等による混雑が問題視されてzoomやgoogle meetを使用したリモート会議などの活用が議論され、会社に出社すること自体が避けられるようになりました。
会社で仕事をするという面では事務作業や営業はそれで代替可能ですが、問題は製造業の現場における加工・組み立て作業です。ネットワークを介した作業でコロナの伝播を回避できても、ものの移動を伴うものづくりはできません。
コロナ以前、産業界では自動化やITの活用が急がれ、ものづくりの無人化、IoTがすすめられてきました。ドイツ発祥のインダストリー4.0(Industrie4.0)などが大きな話題となっていたのもそうした流れの延長にあるものでした。
コロナが猛威を振るった2020-21年の2年間、製造業の現場作業が話題になることはほとんどありませんでした。しかし、現実には現場で集合してものづくりの作業は行われていました。メディアを賑わすのはコロナ対策としてのソーシャル・ディスタンス確保と業務処理を両立させるリモートワークの話題であり、工場における業務に関しては、DX(デジタル・トランスフォーメーション)が叫ばれるだけでほとんど話題になりませんでした。

品質・技術の競争から政争の道具に

一方、IPCC(気候変動に関する政府間パネル:国際的な専門家でつくる地球温暖化についての科学的な研究の収集・整理のための政府間機構)による報告などによって、地球温暖化が回復不能なほど進んでいるとされたことで、温暖化を促進する二酸化炭素の排出を抑えることが求められるようになりました。
特にやり玉にあげられたのが、ガソリン、石炭などの化石燃料でした。
ガソリンを燃料にするレシプロエンジンが主体だった自動車が、温暖化ガスの二酸化炭素を排出することを理由に否定され、各国政府が相次いで2030~35年ころを目安に、ガソリン・エンジン付き自動車の認可をしないと発表したことで、話題は一気に、ガソリンを燃料とした内燃機関が否定され、選択肢はハイブリッド車かEV車か、さらに進んで構造が簡単でITと相性の良い排気ガスゼロのEV車へという議論になってきました。
ものづくり技術の競争だったはずの自動車の未来展望が、技術や品質の問題ではなく、地球温暖化を人質にした政治を絡めた覇権争いの道具として語られるようになってきたのです。将来を考慮すれば、出口として自動運転技術の開発が考えられることからEV化は不可避のように語られています。
トヨタに代表されるハイブリッド技術はほぼ日本の独占状態にあり、技術的に対抗できない中国、欧米では、気候変動対策を加速させるという立場を強調し、ガソリン・エンジンから一気にEV化を進める政策を掲げています。こうした欧米各国の対応は、「日本の自動車産業をつぶす戦略ではないか」などが議論されるまでに至っています。
しかしここで考えなければならないのは、100年を超える自動車産業の歴史の中で、日本の自動車産業は技術開発を続け、すり合わせ技術に磨きをかけ、すそ野を広げて、世界一の売り上げを誇るまで成長を遂げてきましたが、ガソリン・エンジンを電気モーターに置き換えただけで、わずか数年前に業界に加わった中国の新興企業に技術提携を申し込まなくてはやっていけない状況になっているということです。日本が誇ったものづくり技術の優位性とは何だったのでしょうか?
日本の自動車業界は、一方でEVの開発を進めながらも、PHVや水素エンジン開発のような従来のレシプロエンジンの延長にある技術開発にも力を入れています。が他方で、高度に技術的な洗練が求められるすり合わせ技術を脱して、パーツの組み合わせで高度な製品が作れるような技術の組み合わせ化、すり合わせ技術から技術のコモン化が進められようとしています。その代表が、テスラの一体成型によるギガプレスです。
こんな状況の中で、自動車頼みで一本足打法などと称されるすり合わせ技術をベースにした日本の産業はどう変化していくのでしょうか。屋台骨である製造業のものづくりがどう変化していくのか、気になるところです。
高技能・高品質をうたわれた日本のものづくりの強みは、今後も続くのでしょうか? そして、日本がほこったものづくりはどこに行くのでしょうか?
未来は過去の中にある、と言われます。私たちに何ができるのか、将来の方向を考えるために、ここで一度、日本のものづくりはいったいなんだったのか、振り返って見ようではありませんか?

日本のものづくり技術の出発点

二〇一五年の第39回世界遺産委員会で、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の八県に点在する、明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業がユネスコの世界遺産リストに登録されました。 これは、西欧由来の科学技術を基盤にしたものづくりを、開発途上であった東洋にトランスファーし、非欧米圏として初めて大きな成果を上げた例として記念碑的な意味を持つものとして高く評価された結果です。そこには、西洋文化・技術と日本的な伝統と文化・技術の出会いがありました。
明治日本の産業革命遺産の登録は、それまで世界遺産認定を受けていた「富岡製糸場と絹産業遺産群」と違って、八幡製鉄所をはじめとして稼働中の施設も含まれていて、現代日本の産業技術に直結しているものであることが特徴です。 我が国にとっては、明治以来の遅れを取り戻す努力が認められた画期的な出来事でした。日本のものづくりの伝統が認められたことで、神輿を担いで一気に盛り上がるはずの産業界もコロナの伝播と地球温暖化の風にあおられて元気を失い、ものづくりという言葉さえ、EV化の大波によって津波に押し出されてしまったかのようです。
この間、日本の産業界も、かつて1990年ころにはOECD各国の中でも人件費の高い国であったのが、賃金上昇が抑えられて2020年には、OECDのなかでも賃金が下位に位置するようになるなど、社会には閉塞感が蔓延しています。
これから希望をもって社会に船出しようという、20歳くらいの若者にとって、「日本の社会は、経済に関心を持つようになって以来、ずっと景気が悪いと言われてきた」ので、「日本は景気の悪い国」というイメージしかもてないようです。韓国が日本より賃金が高い、ということに、何の違和感もないという。若年層に経済不安が広がってしまい、再浮上の兆しが見られません。
振り返って見れば、明治維新以来、わたしたちは西洋の科学技術に学び、取り入れてものづくりを構築してきました。
そうして生み出した私たちのものづくりは、加工の微細度がナノ(100万分の1ミリ)レベル、不良率は100万個に何個かという、究極の精度を実現しています。こと品質・精度に関して言えば、世界の市場ではほぼ他国の追随を許さない「勝負あった」状態にあります。
こうした高い精度のものづくりを実現してきた背景には、私たちの美意識、労働観、作ることや技巧へのこだわりなどが言われます。独自の自然環境や文化、価値観が、私たちのベースに「通奏低音」のごとく流れていて、それが、小さな工夫と改善を続け、コンパクトで細やかな仕上がり、瑕疵のないものを生み出す基盤になってきたように思います。
第三章で詳述しますが、古事記にもアマテラスオオミカミ(天照大御神)が神が着用する衣服を機織りするという記述があります。神話の時代から日本では神さえも労働をする国なのです。西欧社会では労働は卑しいものがすることだとされていましたので、これだけでも日本が労働することに特異な考えを持った国だということがわかります。
その意味で、私たちのものづくりは、先人のはぐくんだ伝統文化に西洋の科学技術や合理性が融合されて生まれた、世界でもオンリーワンの文化といえるでしょう。
いま、情報技術の急速な発達を受けて、技術の高度化が加速度的に進み、最先端の製品を生み出すために、これまでなかった1ランクも2ランクも上の高い精度や安定性が求められています。そして、世界中の最先端のものづくりの現場で、私たちが構築してきた高度な技が使われています。
小型化・高機能化する携帯端末、IT製品、高い精度と緻密な加工技術が求められる宇宙・航空機、半導体など、日本の緻密な技術から生み出されたノウハウや高精度な機械・電子部品がなければ、新しい製品は成り立たなくなっています。先人が構築してきた高度なものづくりの力がなければ、高度な製品も生み出せなくなっているのです。
人は、自然界にある「もの」と、人が手を加えることで生み出した「もの」を利用することで、空間的、時間的、さらには精神的な広がりを持った活動を可能にしてきました。いいかえれば、「ものをつくる」という行為は、人間の尊厳と文明を支える基本的な要素なのです。人がホモ・ファーベル=ものつくる人といわれるゆえんです。
これまで産業技術の開発を進めてきた先進国の多くの人たちが興味を持たなくなってしまった“ものをつくる”という原初的な行為に、私たちはいまでも強い関心を持っています。そうしたものづくりの精神と技術は、未来に向けた貴重な「人類の資産」であるといってもいいでしょう。
この先、まだまだ、作り出すものについて改革・改善・改良の努力が不可欠です。そのノウハウをさらに展開し、必要としている世界に広め、次の世代につないでゆくことは、私たちの役目というのが、これまでの私たちの基本的な考えでした。果たしてその基本は今後も変わらずに、日本流の高度なものづくりは求められていくのでしょうか?

日本人の底に流れるものづくりの通奏低音

219世紀中頃から第2次大戦後しばらくの間まで、圧倒的な力で豊富な物量を生み出し続けていたアメリカでは、ものづくりの多くは国外に移動し、GDPでみれば製造業は国内生産のわずか10パーセント強を占めるにすぎなくなっています。アメリカ国内の産業としては、製造業は主役の座から去り、老兵は消えゆく運命にあるかのようです。
アメリカ経済のけん引役であるGAFAはハードウエアの生産を自社で行っていませんし、アメリカものづくりの代名詞だった自動車産業さえ、国の支援なしでは一人歩きがおぼつかなくなって、主役の座は新興のテスラにとってかわられています。
こうした製造業の後退について、ラストベルトの人たちが工場を再開せよ、仕事を返せと主張していますが、多くのアメリカ人はあまりこだわりを持っていないようです。
アメリカ人が興味を失った「ものをつくる」ということに、わたしたちはなぜこれほどこだわりを持っているのでしょうか。こんな国民は、歴史上、世界にも例はないのではないかと思います。
近年、日本でもサービス産業化が進み、製造業のGDPに占める比率はわずか20パーセントほどにすぎなくなっています。半導体も海外に負け、もう製造業の時代ではない、という声が聞こえます。
それでも多くの人は、やはり製造業が元気でなければ日本はダメといいます。なぜ、私たちはこれほどまでに、ものをつくる製造業にこだわるのでしょうか? 雇用の場を提供するという以外に、日本人のものづくりへのこだわりをみていると、ものをつくるという行為そのものに、日本人をひきつけてやまない何かがあるように思えてなりません。
江戸時代中期(1754年)に発行されて人気になり、何度か版を重ねて、類似の続刊まで発行された書籍に「日本山海名物図会」というのがあります(第5章参照)。
絵入りで諸国の山海名物を紹介するいわばカタログ本のはしりのような書籍です。しかしそこに紹介されているのは、諸国の山海名物といいながら、各地の名物・名産品そのものではなく、その名物を採集・加工する現場の様子であり、いまふうに言えばメイキング本なのです。
山陰地方では、たたら製鉄が知られていますが、イラスト入りで紹介されているのは、作られた鉄製品ではなく、原料である砂鉄を集める様子やそれを溶かす炉と、ふんどしひとつの裸姿で炉の横にあるふいご(たたら)を踏んで風を送っている作業者たちの現場の姿なのです。
一般に、知らない土地に特有な名産品があるときけば、それはどのようなものなのか、どんな形・姿をしていて、どんな味がするのか? その調理法は?・・・と関心をもつのは分かります。でもこの本が紹介するのはそうではないのです。名産品そのものへの関心以上に、名産品を加工するプロセスに焦点があてられて紹介されているのです。読むのは、いったいどのような人たちだったのでしょうか。
しかも、この本は、1754年に発行された後、四三年後の一七九七年にも版が重ねられているだけでなく、類似の書名の続刊まで発行されているのです。
わたしたちは、ものをつくるという行為に、なぜ、こんなに関心をもつのでしょうか。業(ごう)と言ってもいいようなこうしたこだわりは、世界でも突出しています。
わたしたちがそうしたこだわりを持っていることを、私たち自身は普段はまったく意識していません。 しかし、もしかすると、ものをつくるプロセスへの強いこだわりは、あたかも遺伝子に組み込まれたDNAのように、通奏低音となって、私たちのなかを流れているのではないか。それが結果として、私たちにものづくりへのこだわりをもたせ、高品質なものを生み出させているのではないか、そう考える以外に、説明がつかないのです。

ラーメン店主にみるものづくりの魂

出汁やトッピングに工夫を凝らして、自立した一食としての価値を持たせた日本のラーメンが、多くの国で高い評価を獲得しているのも納得します。日本の自動車業界は自動車大国を自任するアメリカ人に日本車の性能を納得させることに成功しました。同じように、「食の大国」を自認する中国人やフランス人、イタリア人に、ラーメンのおいしさを再評価させた功績は、日本人のものづくりの魂のなせる業と思います。

ラーメンの手軽さは、アメリカで言えば、ハンバーガーやホットドッグのようなファストフードの位置にあると思いますが、アメリカで若者が独自のハンバーガーやホットドッグを工夫して名乗りを上げ、多くの若者が後に続いてそれが一大産業として経済を支えるまで成長する、などという話はあまり聞きませんし、それを期待する声もあまり市場から聞こえません。

最近はおいしいパンケーキのお店が出店して話題になったりしていますが、それもどちらかと言えばトッピングの豪華さ、目新しさが売りで、パンケーキそのものの味の違いを競って、若者が起業するというものではないように思います。ラーメンの基本はスープと麺であり、トッピングの奇抜さで売るのは、いわばデコ車仕様。エンジンそのものの性能を競うものづくりの本筋から外れた遊びの範疇にすぎません。
ハンバーガーで世界を席巻したマクドナルドも、大量消費に合せて生産-流通し、提供する方法をシステム化した仕組み作りがポイントで、成功した秘訣はものづくりではなく、マネジメントの工夫で、独自の商品を開発したわけではないのです。

ラーメンを求める客に思いを寄せて、味の違いにこだわり、究極のスープ、麺、その仕上げとしての一品のラーメンを追求してやまない作り手の姿勢に、日本人が持っている「完璧なものをつくりたい」というDNAが見えるのです。

日本のものづくりの潜在力

これほどまでに、自ら作ることにこだわる民族を、私は寡聞にして知りません。
第2次大戦で、アメリカ軍の圧倒的な物量作戦に屈した私たちは、戦後、日本は加工貿易の国だと教えられてきました。国内に資源がないから、原材料を輸入して、それを巧みな技で加工し、付加価値の高いものにして輸出する、それが資源のない小さな日本の生きる道だ。子供のころからそう教えられ、日本の産業界は、戦後その教えの通りに事業を営んできました。
実は、世界的にみても日本は決して小さな国土面積の国ではないのですが、それはともかくとして、そうした教えは、しばらく前まで問題なく機能してきました。
しかし、ここにきて、加工貿易の国という生きる道が容易ではなくなってきました。1990年ころから家電製品に代表されるように、新興国が安価な労働力をバネに台頭してきた結果、半導体をはじめとして日本が手の内にあると思っていた市場がつぎつぎと奪われ、国内では製造業が立ちいかなくなってきたのです。2010年ころからは、地球温暖化の流れに沿って、電気自動車への傾斜が世界で始まり、石油を基盤にしたエネルギーを使うレシプロエンジンの車の将来性が危惧されています。CVCCエンジンの開発で厳しい不可能と思われたマスキー法の厳しい排ガス規制をクリアしたホンダや、モーターと併用したハイブリッド車の開発で環境問題に先鞭をつけたトヨタなど、世界的な開発力で日本経済を押し上げてきた自動車産業の将来に赤信号が灯るようになってきました。
はたして、日本の産業界はグローバルな市場で生き残っていかれるのか、日本のものづくりは大丈夫なのか、危惧する議論が絶えません。
日本には高度なものづくりの技術があり、まだまだ大きな可能性を持っているという楽観論から、いや、日本の技術はガラパゴス化して行き詰っているのでITを駆使した第3次産業化、脱ものづくりを図らなければ将来はないという悲観論まで、さまざまな意見が言われています。はたしてどうなのでしょうか。
ものづくりというのは、長い蓄積の結果行われるものです。イギリスの紡績・繊維、ドイツの機械、スイスの精密工業、イタリアの繊維・服飾産業などの例を見ればそのことはよく分かります。その国の自然や歴史、伝統、文化、地政学、あるいは気候や国民の気質などによって、それぞれの国に独自のものづくりが行われ、その蓄積が花を咲かせて、世界市場でのシェア獲得につながってきます。
そうした歴史を前提にしてはじめて、その国のものづくりを語ることができるのではないかと思います。
では、私たちのものづくりとはどのようなものなのでしょうか。

  • 対価のためだけでなく、消費者の喜びを糧として、使う人の立場に立ったものづくりを志向する性向
  • 繊細な仕上がりを求めてより高い技能をめざそうとする姿勢
  • 仕事そのものの成果に関心を持ち、さらに良くしたいと不断に改良を重ねる継続力

などについてはよく言われますが、もう一つ、

  • ノーベル賞の自然科学系の受賞者数で、2023年現在は、米国籍で米国在住の南部陽一郎・中村裕二・真鍋淑郎の3人を除いても自然科学系で22名と、欧米諸国以外の国では最多の受賞者を出し、
  • 2000年以降で見ると、2021年までに、日本はアメリカ96名、イギリス24名に続いて3番目に多い17名を出していて、

ドイツ、フランス、ロシア、イスラエルを圧倒する科学技術力と創造力をもつ、ということも、私たちの特徴と言っていいと思います。
もともとノーベル賞は受賞者の国籍を問うていません。なので、ここで受賞者数を国単位で問題にするのは本意ではありませんので、目安としてご覧ください。日本人受賞者としては、アメリカ国籍の南部陽一郎、中村修二を除いています。また、海外ではロシア国籍とイギリス国籍など複数国籍保持者を除いています。
消費者、使い手を思いやる心があり、世界中から高く評価される繊細で高度な技があり、労をいとわぬ勤勉さがあり、なおかつ、科学技術の領域で世界トップをいく創造力を有している国、そんな国がものづくりで将来がないとは、思えません。

日本のものづくりはどこを目指すのか

「日本のものづくりはダメ」そんなことが大きな活字で報道されたりしています。
アメリカの経済をけん引するGAFAに対して、日本産業界のIT技術の遅れも指摘されています。コロナ禍で業務処理のリモート化が言われていますが、工場という現場でなければ不可能な製造業のものづくり現場の動向はあまり話題に上ってきません。
過去にジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、自他ともに世界一と言われた製造業も、自動車産業に頼って、一本足打法などと揶揄されていて、浮上する兆しも見えません。ITの発達によって技術ノウハウがソフト化されたことで、日本が強みとしてきた、摺り合わせ技術の優位性が、ボリュームゾーンの製品で失われてしまった結果です。
こうしたことから、日本におけるものづくり技術はガラパゴス化していると言われたりしています。本当に日本のものづくりはダメなのでしょうか。私はそうは思いません。
ものづくりの問題よりもむしろ、高度なものづくりや創造力がありながら、それを活かせないマネジメントに問題があるのではないかと思います。
アメリカの産業は、ものづくりから離れた代わりに、軍需産業を含めた航空宇宙分野や医学生理学・遺伝子領域、先端の技術開発、ICT、金融工学……に特化し、リーダーシップを保とうとしています。残念ながら、日本が同じ土俵で勝負できるとは思えません。実体のない、予測や将来の変動リスクを取引のタネにするという発想は、日本人からはなかなか生まれないのではないかと思います。
となると、日本独自に、将来の方向を見つけ出す必要があります。世界市場でそれなりの位置を確保し、将来に向けて、先端を走り続けるためには、日本の産業はどこをめざすべきなのでしょうか。
同じようにものづくりでの立国を目指しているドイツでは、第四次産業革命としてインダストリー4.0(Industrie4.0)を政府主導で進めています。自在なものづくりを構築することでドイツの強さを築き上げようとするもので、その基本は、サイバー・フィジカル・プロダクション・システム、つまり、ITとものづくりを統合して、国ぐるみで自在な生産を可能にしようという壮大な試みです。コロナ禍で遅れ気味ではありますが、目標は2025年、政官学・産業界をあげてノウハウを蓄積しようと、そのための規格・標準づくりが始められています。
日本は明治以来、西欧科学技術を取り入れてものづくりを発展させてきました。
その始まりは、黒船がやってきた、わずか一七〇年ほど前のことにすぎませんが、前提となる「もの」を「つくる」という行為・意識に関して言えば、日本人の歴史、伝統、文化を前提に独自の発展を遂げたものだということができます。
日本の文化は、西欧の人々にとって、異なる価値観を持っています。
日本が西欧との交流の窓口を開いて一七〇年、お互いを理解するまでの多くの苦難の歴史と、交流の積み重ねを経てきました。以来、一七〇年を経て、やっと西欧の人々に私たちが持つ文化や価値観が、遅れた異端なものとしてではなく理解され、新しい刺激として対等な視点で受け入れられ始めています。
この日本発の文化は、新たな価値観となって、西欧の人々に、新たな刺激を提案するようになっています。そして独自の価値観から生まれた商品が世界で受け入れられ始めています。一杯のどんぶりに独自の世界観を盛り込んだラーメン、ヘルシーで繊細な加工と味付けを施した和食、手軽に清潔を演出する洗浄トイレ、バラエティに溢れたスナック菓子、そしてアニメ文化などなど。
今後、二つの文化の違いを前提に、日本からさまざまな商品を提案する可能性が大きく広がっています。日本発のものづくりが本領を発揮するのは、むしろ、これからなのです。
最終的な製品が高度になればなるほど、同時に、それを支えるものづくりにも高度な技術が求められるようになります。
例えば、自動運転。Aの指示を出せば、確実に毎回高い精度でA作業を行う、装置への信頼がなければ成り立たない技術でもあることはいうまでもないでしょう。どこまでの精度の高さで繰り返すことが求められるのか。それを前提にしか成り立たないシステムであることを考えれば、求められる高い精度の緻密な技術を保証する国は、現状では日本をおいて他に考えられません。
「未来は過去の中にある」――といわれます。
未来に向けて日本のものづくりはどうあるべきか、そして私たちは何をするべきか、それを考えるよすがとして、私たちのものづくりの歴史と伝統、そして強さの源泉を、もう一度確認してみようではありませんか。

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