第1章:富岡製糸場――近代化を急いだ日本ものづくりの模範工場
<ものづくり強国日本>の原点を訪ねる
2014(平成26)年に開かれた世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS:イコモス)で「富岡製糸場と絹産業遺産群」は「世界遺産一覧表」へ記載され、世界遺産登録されることが決まった。
ここに含まれるのは富岡製糸場を中心に高山社跡、田島弥平旧宅、荒船風穴である。
なぜ、西欧から輸入した設備で1872(明治5)年に日本につくられた富岡製糸場が世界遺産に選ばれたのか、理由は、当時の工場をこれだけの規模で残している所が世界を探しても他にどこにもないからだ。
できれば時間をかけてゆっくり見た欲しいところだが、急いで回れば、1日で富岡製糸場と絹産業遺産群の全部に触れることも可能だ。現代の改善活動につながるものづくりにかける日本人の心意気と姿勢をじっくりと知るよい機会になるはずなので、ぜひ訪れることをおすすめしたい。「へえ、日本人は昔からこんなことをしていたのか」温故知新、目からうろこの機会になること請け合い。
富岡製糸場を訪問するならば、ぜひ、仲町の角からゆっくり歩いて、製糸場に向かってほしい。それが一番自然なルートだけれど、理由はふたつ。
ひとつはこの寺社の参道のような道をたどっていくことで、次第に目の前に現れてくる製糸場の赤煉瓦倉庫の巨大さが実感されるということ。そして、ややタイムスリップした感のあるこのアプローチを通って近づくことで、やがて目の前に現れる建造物の大きさが、当時近づいた人間の実感としても感じられるようになるからだ。
最初に感じるのは、目の前に見えてくる建物の大きさである。そして、中に入って驚くのが保存状態の良さ。この2つを実感として味わうことから、富岡製糸場の見学を始めたい。
工女としてここで働いた信州松代藩の家老の娘・和田英は、到着して工場を始めて目の当たりにしたときの印象を次のように記している。
「富岡製糸場の御門前に参りました時は、実に夢かと思い舛程驚きました。生れまして煉瓦造りの建物など、まれに、にしき絵位で見る斗り、それを自前に見舛る事で有舛から、無理もなき事かと存舛。」(富岡日記・上毛新聞社)。
初めて見る煉瓦造りの大きな建物に度肝を抜かれた当時の人々の様子が分かる。
南を鏑(かぶら)川に面し、西北東の3方向を煉瓦塀に囲まれた約1万5600坪の敷地内が、ほぼ当時の姿で保存されている。1939年以来、製糸工場として事業を展開しながら、保存を心掛けてきた片倉工業株式会社の努力に負うところが大きい。